かざぐるま

埼玉県在住の20代サラリーマンです。基本おしゃべりな性格のまま、おしゃべりみたいなブログを書いています。

平成最後の仮面ライダー「仮面ライダージオウ」第一話9月2日放送!これからが楽しみ!

 

 

9月2日から、新番組、「仮面ライダージオウ」が放送されます。

本日、記念すべき第1話でした。

昔は仮面ライダー好きでしたが、ここ何年も仮面ライダーを見ることはなく、どんどん知らない仮面ライダーが登場している現状でした。

 

しかし、今回は平成最後の仮面ライダーということで、これまでの20作の仮面ライダーがすべて登場するとのことでしたので、見ないわけにはいかないですよね。

 

クウガ、アギト、竜騎、どれも童心に帰れるような、懐かしい気持ちを思い出すことができます。「ファイナルベント」懐かしな、みたいな笑

 

ブレイドとか電王とかダブルとかもみてたり。

なんだかんだ仮面ライダーと共に歩んできたきらいはあります。

 

10年前の仮面ライダーディケイドの時も、今回の「仮面ライダージオウ」と似たような感覚で結構見てました。というか仮面ライダーディケイドから10年も経過しようとしているという事実が大変驚きを隠せません。

ディケイドもこれまでの仮面ライダーがたくさん出場しており、大変楽しんで視聴することができました。

 

他に、最近の仮面ライダーではオーズなんかも見てました。

メダルの組み合わせで様々に返信できる姿が印象に残っています。

 

ウィザードも内容的には気になっていたのですが、結局見ることなく終わってしまいました。ビルドも同じです。

結局時間を見つけることができず、見ることができなくなってしまうのは、悲しいものです。

 

今回、めでたく第1回の放送を迎えたジオウですが、感想としては、面白かったです。

高校生の主人公が王になることを夢見ているが、未来の主人公は魔王となり、世界を支配していました。そんな未来を阻止するために、主人公を襲いますが、、

これからどのように物語が進んでいくのでしょうか。

主人公は正義なのか悪なのか、そもそも正義とは、悪とは。

1話のみの視聴ですが、たくさんのことを考えることができましたし、これからの期待も膨らみます。

 

 

継続して視聴すること確定です。毎週の楽しみが一つ増えました。

 

仮面ライダーシリーズの対象年齢は子供ですが、脚本を考えているのは大人であり、なにか伝えたいメッセージが確実にあります。

子供から大人まで統一して伝えたい大切なことは、根っことなるようなものが多いように思います。

そんな大切なメッセージを感じつつ、童心を思い出しつつ、楽しみたいです。

 

これからが楽しみです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

ジオウの

内容としては、

母校の高校の文化祭にちょっと顔を出してみました。なかなかエモい

 

夏休みが終わり、高校生の一大イベントとして行われるもの「文化祭」があります。たまたま高校の近くに立ち寄ったので、ちょっと顔を出してみました。

 

あの頃と同じ道、同じ校舎、変わらない風景を見ることができ、大変懐かしい気持ちになりました。高校時代、いい思い出が個人的には9割以上なので、ただただいい気分にしかなりませんでした。

 

特に文化祭には個人的に大きな思い入れがあり、あの頃の自分の経験や行動が、今の自分に大きな影響を与えていることは、確実であり、なくてはならないものです。

 

しかし、私が高校生であったのはかれこれ5年近くも前の出来事です。

私が同じ場所に同じ人と集まったとしても、あの頃と同じ環境に戻ることはできません。あの頃の何気ない毎日が、きらきらと輝いた毎日であったこと、もうあの頃には戻ることができないこと、そんなことを考えていると、なんだか寂しい気持ちになります。

 

時間の流れを止めることはできず、あの頃に戻ることもできません。学生時代はもう戻ることができないと知ってはいても、どこかあの頃に戻りたくなってしまう心があります。

 

学生の頃に持っていた、物事にひたむきにまっすぐ付き合う姿、今はあの頃ほど持ち合わせていないように感じます。今は心の底から取り掛かれるものがないからなのか、それが見つけられていないのか、単純にお金を稼ぐことが苦手なのか、わからないですが。

 

高校時代のあの頃にも、今にももちろん悩みはありました。しかし悩みが現実的になったのか、歳を重ね、先々のことが近くに感じるようになったからなのか、わかりませんが、悩みの質が変化していることは事実です。

 

今の生活に不満のあるわけではありませんが、満足しているわけでもなく、これから自分としてどのように行動を起こしていけばいいのか、ちょっと迷子のような状態になってしまっているような気がします。

 

高校の時は、その先の進学に向けてがんばることであったり、行事に向けて頑張ることであったり、短期的な目標に向けてひたむきに頑張ることのみで十分でありました。しかし、今はそれでは十分ではありません。これから先5年10年先まで考えて行動していくことが求められます。

 

何で自己実現し、何で自分の満足感を満たすのか、何に価値を置くのか、それらをしっかり考え、構想を練らなければなりません。

考えも不足しているし、行動も伴っていない。体力も不足している。

足りないものがたくさん見えるようになりました。

 

高校時代の自分が今の自分を見て、失望しないように、高校時代の自分から見て、期待値を大きく上回れている自分になれているように、しっかり心掛けで、行動していきたいです。

 

5年まえ、10年前のことが遥か昔のことのようにも感じますし、つい最近のようなきもします。それだけ時の流れというものは自分たちの予測とは異なる流れであるということです。

 

時間感覚にとらわれすぎず、且つ、自分が後悔しない選択ができるように、日々生活していきたいです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

あれ、8月もう終わり? ということで振り返ります。

 

本日は8月31日です。

8月最終日です。

時の流れが早い関係の記事はこれまでも幾度となく書いてきましたが、今回もさることながら早かった。

 

7月8月すっ飛ばしてしまったのではないか、そんな気がしてしまうほどです。

 

8月もたくさんのことがありました。

仕事もプライベートも。

 

仕事に関しては、正式に部署が決まり、せかせか働いています。

今の仕事や働き方に不満はありませんが、このままではいかん、という危機感はあります。

まだまだできることもあるし、伸びきってない。追い込めてない。

 

8月である程度感覚が掴め始めたので、9月は追い込みます。

数字取りつつ新規提案もバンバン進めて行きます。

って、今まで通り有言不実行になってしまわないよう、しっかり計画建てます。

 

仕事で何を得るのか。お金はもちろんですが、それ以上のものも獲得していきたいです。つまり経験やスキルを。

 

今の自分はまだまだ小さな存在で、何をするにも力がないことが露見します。

ぶっちゃけ悔しいです。

 

上には上がいる、わかってはいたことですが、目の当たりにしてしまうと、やはりくるものがあります。

ただ、自分が越えられないものではなく、むしろ狙っていけるものなので、しっかり狙い続けていきたいです。

 

今の気持ちを忘れずに、9月も頑張っていきたいです。

 

ダラダラ働くことも可能ですが、それでは時間がもったいない。ただでさえあっという間に時は過ぎていきます。

このままではただ歳を取り、何も得るもののないままです。

 

正直焦りの部分もめちゃくちゃあります。

焦りには良さと悪さが表裏一体であると思うので、良さのみ抽出し、成長に繋げていきたいです。

 

8月の振り返り、ほぼ仕事のことになってしまいそうです。

実はこの状況にも危機感を感じていて、人生のほとんどが仕事になってしまうわけにはならないわけです。

しっかりプライベートで遊んでもいますが、大きな部分を締めるのは正直仕事になってしまっています。

 

仕事もプライベートも不満があるわけではなく、むしろ楽しいのですが、まだまだ高望みしていいと思うので、高望みしていきます。

 

何事も積み重ねと繰り返しです。

1日1日を大切にして、9月も頑張りたいです。

なんとかして分身でもできたらなぁ、、笑

 

何事も有限で当たり前じゃないことも忘れたくないものです。つい当たり前に感じてしまっていますが。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

昔の自分のブログ読むの面白いな

 

今の私のブログのスタイルは9割日記のようになっています。

書きたいことを書く、というスタンスでブログを続けていた結果、思ったことを日々日々垂れ流しするブログになりました。

 

今後はテーマを絞ったものも作成したいのですが、と言い続けてもう8月も終わろうとしています。いや早すぎる。

 

ほほ日記スタイルのブログ続けると、自分にメリットがあることがわかりました。

 

それは、過去の自分の考えを知ることができる、ということです。

 

思いのままにありのままをさらけ出しているので、あの時のこいつ、こんなこと考えてたのか、っておもしろおかしく読めます。

 

変わらないことは変わりません、ということも知ることができて、これからの自己分析にも繋がりそうです。

 

とはいえ、誤字脱字もまあまああるので、気をつけなければなりませんね、といった、意識付けにも繋がります。

 

ブログを長く続けるだけで、自分の紹介が簡単にできちゃいそうです。文章力はえげつない長いですが。

 

そう考えると、Twitter等のSNSを活用して、自分のことを知ってもらう施策は大変有効なのだと改めて感じます。

 

殊にTwitterに関しては1ツイートの文字数制限があるので、短い言葉で思いを伝え続けることができます。

 

Twitterにしてもブログにしても、自分の思いや考えを文字に残すことの大切さを改めて感じ取ることができました。

 

一朝一夕で数の増えるものではなく、日々の積み重ねが大切です。

 

記事の数とか見ると、あぁなんやかんや続けてるな、って感じます。

 

そういった意味ではある種貯金のような性質があるのかなと思います。

将来の自分に伝えることのできる情報は、今私が感じているものより、はるかに多いと思います。

もしかしたらゼロかもしれませんが。

 

これからも定期的に考えを記録に残し、将来のための貯金を増やしていきたいです。

 

自分の言いたいことを残す、やりたいようにやる。単純に今のスタイルでブログを書くことが好きなのかもしれません。

 

早い段階でブログを始められてよかった思っています。

まだまだ努力は必要ですが。

なんやかんやモチベーションはほとんど途切れていなかったりします。

 

モチベーション大切ですよね、本当に笑

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

さくらももこさん死去、残念です。ちびまる子ちゃん懐かしいな、、

 

さくらももこさんがお亡くなりになられました。人の死というものはいつであっても悲しいものです。

 

さくらももこさんは言わずと知れた国民的アニメ、ちびまる子ちゃんの作者です。

 

私も昔はよく見ていました。いつから見なくなってしまったのだろうか、、

 

つい最近、まる子に年齢が追いついたような気がしてなりません。

なのに、気がついたら、のび太の年齢になり、工藤新一の年齢になり、二十歳を迎え、、時の流れの速さに追いつけていない自分がいます。

 

ちびまる子ちゃんからのサザエさんの流れは、日本の日曜日の代名詞であると思います。

 

今までの人生の中で、何回日曜日を過ごし、何回次の週を迎えてきたのでしょうか。

当たり前に感じることも、ふとした時に振り返ってみることで、過去を懐かしんだり、今を振り返ったりできます。

 

ちびまる子ちゃんの世界は、自分がいくつになっても、どんな環境に置かれても、変わることのない、ある種不変の世界です。

 

変わらない世界観に触れることで、懐かしさ、安心感を得ることができます。

 

それほどまでに絶大な影響力を日本国民に与えてくれた、ちびまる子ちゃんと、その作者のさくらももこさん。

 

これからも日本人の心であり続け、私たちの心の中で生き続けていくのでしょう。

 

既存の技術下では、肉体は永遠に使えるものではなく、いつか寿命が訪れます。

 

人は必ず死ぬ。これは不変であり、ある種心理のようなものであると思います。

 

しかし、人が死に、コミュニケーションが取れなくなってしまったとしても、人の心に残ることはできます。

 

言い方を変えると、どんな人でも自分の心に残すことができます。

 

誰かに思われている、人にとってこの上ない幸せであり、ある種、生きてる、なのではないかと思います。

 

逆に言いますと、いくら世に残っていたとしても、他人の心に居座ることができていなければ、生きているけど、生きていない、難しいですが、そう感じます。

 

人の心に生きれる人であり続けたいと思います。ただここにプレッシャーを感じすぎず、自分らしさも忘れずにいたいです。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。