眠気覚ましでミンティアとかフリスク食べてるけど、何かに代替したい
仕事中、パソコンに向かっている時、話を聞いている時、何かを考えている時、襲ってくる魔物、眠気。
前日いつ寝たからとか、朝早く起きたからとか、あまり関係なくて、眠い時は眠くなります。これ人間の摂理だと思います。
そもそも人間が集中できる時間は限られており、集中力が切れてしまうことはある種仕方のないことだと思っています。
私個人的には、切れた集中力は自分の力で無理やり復活させることは至難の業です。だから集中力が切れたら休みます、今日が限界だと思ったら帰ります。
多分こっちの方が効率がいいです。少なくとも私が働くにあたっては、当てはまります。
しかし仕事中ってそうはいかないんですよね、休憩とサボりの垣根が側から見たらわかりません、なんかちょっとの休憩もやりにくい。
集中力を復活させるとまではいかなくても、頭をスッキリさせてあげなければなりません。
そんな時、人々はこぞって、白いタブレットを口にします。
私もそのうちの1人でして、ちょっと集中力が切れた時、眠い時、なんとなくだったり、ミンティア食べています。
しかし、最近考えました。
あれって元の素材なんだろう。動物性でも植物性でもない。あれ、なんか怖くね、と。
栄養をとるために食べているわけではないので、低栄養価なのはいいとしてと、体に害なのかも、と考えると話は違います。
不健康になりたくはありません、むしろ健康でい続けたいです。
となると、食事にも気をつけなければなりません。間食も含め。
ということで、ミンティア食べまくり生活に焦点を当ててみたのですが、思いの外解決策が見つかりません。
今回の一番の問題点はここにあります。解決策がわからない。もっと噛み砕いて言うと、フリスクやミンティアに代替するものが見つかりません。
これは実際に試してみないと結果のわからないものだと思うので、少しずつ様々な商品を試してみようと思います。
今度駄菓子屋さん回って考えます。
個人的にはグミが好きですが、グミでは健康問題は解決しません。
都こんぶか、干し梅か、干し芋か、ドライフルーツか、、
この辺だと価格と塩分の問題が新たに生まれそうです。
あとちょっと個人的に、みんなミンティア食べてるあの状況がなんだか気持ち悪くて、そこから抜け出したい、みたいな気持ちもあります。
マジョリティに歯向かって、周りと違う感を出したくなる病、まだまだ子供ですね(笑)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
「ブランド人になれ!」読了! 思考が整理されていない、、、複雑に考えている、、、
田端信太郎さんの「ブランド人になれ!」読了しました。
これからは個人の時代になる、という考え、様々なメディアでも拝見いたしましたが、私も同感であります。
自分もブランド人になるために、もっと頑張らなければならないな、そう感じる内容でした。
しかし、その頑張る、ということに関して、考えるところがあります。「ブランド人になれ!」にも、最初の3年はがむしゃらに、とにかく量をこなす、ことが大切であると書いてありました。確かにそのとおりであると思います、私自身、自分に足りないものは、悔しいですが、圧倒的に経験値であると思っています。
ただ、同時に、経験値のないこと、を言い訳にしてしまいたくもないです。わがままなのか、せっかちなのか、貪欲なのか、わかりませんが、現状の自分では満足していません。
圧倒的に経験も足りていないのに、行動量も伴っていない気がしますし、だからといって、行動に時間を使いすぎて、身を削ることも避けたいですし、、もやもやが止まらない時期です。
実際、自分が不満に思う行動であれば、それはホントにやりたいことなのか
いや、どんな物事であっても、自分の好きではない作業はうまれてしまうのではないか、
色々考えることは多いです。
そんなグダグダ考えるだけでは、なにも解決しないと思っているので、行動もしていますが、果たしてそれでいいのか。
そもそも行動量が少ない。
何事もすぐ考えてしまうことはいいことであり、悪いことでもありますね。
とりあえず会社では、自分のやりたいことを発言し、機会も得るようにしています。実際にアサインされた仕事もあり、貴重な経験を積むことができそうです。
しかし、その先になにがあるのか、なにを求めるのか、自分はどうなりたいのか、まだまだ、見えてこないものが多いです。
とりあえずなにかやってみれば、見えてくるものがあるかも、そんな意見もたくさんありますし、自分もそう思うので、やってみてはいますが、見えていないうちは不安が残るものです。
こうやって、悩んで、考えて、行動して、また新たな悩みが生まれて、行動して、また悩んで。
人はこの循環から逃れられないのだと思います。
この一連の循環の中に、人の悩みがあり、喜びがあり、これが生きる。ということなのかもしれません。
悩みが尽きることも、答えがみつかることも、はるか先のことであると思いますが、少しずつ、答えを解決し、日々の幸せを噛み締めていたいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ワンピース エピソードオブ空島 2時間だから仕方ないけれど、省略が多かったな、、
8月25日、フジテレビにて、土曜プレミアム「ワンピース エピソードオブ空島」が放送されました。
私自身、大のワンピースファンでして、その中でも空島編は大好きな話のひとつです。
とういことで、放送を大変楽しみにして参りました。
内容としても、実際つまらないものではありませんでした。普通に面白かったです。もともとワンピースが持っている魅力、面白さがあることからも、見ていて退屈になってしまうことは稀有なパターンであると思います。
ただ、今回のエピソードオブ空島は、不完全燃焼感の残るものでした。理由は明確なものです。それは、省略している場面が多い、ということです。
そもそもマンガの空島編は10巻近くにわたる長編ですし、それをわずか2時間でまとめるということは、多少無理のあるものです。
土曜プレミアムで放送する以上、仕方のないことである、頭の中では理屈は理解しています。ただ期待値が大きかったため、ショックも大きかったです。
黒ひげカットだけならまだしも、ベラミーもカットですかと、、。
個人的な意見にはなってしまいますが、ベラミーのくだりは、ワンピースらしい、ルフィのかっこいい部分を見ることができる場面だと思います。
何回読み直したことか、何回胸を打たれたことか。
ルフィが何を大切にしているのか、それが、1回目と2回目の戦いで感じ取ることができます。
個人的に好きなシーンだったこともあるかもしれませんが、そのベラミーが全く出てくることなく、空島についてしまった時にはなんだか悲しかったです。
そこからも、戦闘シーンは当然カットされているものが多いです。
大好きな空島編だからこそ、ひとつひとつのカットが目立ち、残念に思ってしまいました。
ただ、アニメとして、2時間にまとめるという意味では、いい内容であったと思います。
ただ私はこの不完全燃焼感をぬぐうことができず、そのあと、空島編をすべてマンガで読み直しました。やっぱいいですね、ワンピース。空島編。
周りと比較しても自信をもっていえるくらいにはマンガは趣味であると自負しているので、楽しくマンガを読むことができます。
ワンピースはもちろんのこと、もっと他のマンガも読む機会を増やしたいなと、考えました。
マンガを読んでいると時間はあっという間に過ぎてしまいますが、そんな時間も自分の財産に必ずなると思っています。息ぬきとしても。
社会人になり、自分の時間は減ってしまっていますが、好きなことは忘れずに大切にしていきたいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
会社の会議って必要?基本無駄じゃね?
会社員になって感じる違和感シリーズ。
今回は会議について。
会社に入り、部署が決まり、グループが決まり、チームが決まり。
働けば働くほど、たくさんの会議に出くわします。
なにかとつけて会議して、会議して、会議して、まだまだ新米社会人ですが、それでも幾度か会議に参加させて頂き、感じたことをちょっと書いてみたいと思います。
基本情報共有
情報を共有することは大切です。
でもわざわざみんなの時間割いてまで、共有フォルダにあるExcelの読み上げをする。
いや、各自で読めばよくね?って思っちゃいます。
全員の場で言わないと資料を見ない人がいる!
と考え、時間を設けているのだと思いますが、それで言ったら会議みんな集中してる?って話だと思います。
見る時間がないから機会を提供してる!みたいな考えもあるかと思いますが、それはそんなパツパツになるまで仕事を与えてしまっている会社に問題があると思います。
タイムスケジュールって知ってる?時計の見方知ってる?
まぁ時間を守らない。
開始時刻になっても人はこない、なぜなら前の会議が長引いているから。
決めた時間以内に議題は終わらせてほしいものです。
かと思ったら、無理に会議時間内に議題を解決させようと、最後の5分で多数決に泣き寝入り。
何分間で何を話して、どうゴールに持っていくか、しっかり考えてメンバーに共有するべきではないでしょうか。
時間感覚がわからない。だからダラダラと皆話してしまいます。
準備しましょうよ、、
みんなぶっつけ本番できます。それも話す内容もまとめず。
話すべき内容の資料が見つからない、資料をただ読むだけ、、
いや話す内容とか資料とか準備した方が円滑でしょ、、
自分も相手も何話してるのかわからない、それじゃあ意味ないやん。
1つ前の項と被りますが、せめて議題の共有とタイムスケジュールくらいは準備していただきたいものです。
ゼミやってた頃の私のがハンドリングうまいわ。とか思ったり思わなかったり。
とはいえ会議は必要
意見を共有する、話し合う場は必要です。それは間違いありません。
むしろ大切な時間です。
大切な時間だからこそ、有意義なもの、楽しいものにしなければなりません。
せっかくの会議がもったいない。
本来会議ってやりたいこと話しあって、わいわいやるものじゃないですか、てかそうしたくないですか?
無駄に取り繕って、本音か何かもわからんことを言ってもつまんなくないですか。
考えが子どもで学生なのかもしれませんが、それが私の考えなので、忘れずに持っていたいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ことばのちから
ことば、コミュニケーションをとるにあたってなくてはならないものです。
自分の思い、考えを相手に伝える時、人はことばを使います。
このことば、国や地域によって使う言語が異なります。
同じ言語であっても、方言のように、アレンジが加えられているものもあります。
自分の思いや考えを相手に伝える時、言語の異なる相手であると、急激に伝えることのハードルが上がります。
自分の知らない言語だった場合、最悪なにも伝えることができない、なんてことも多々あります。
このように、使用する言語が異なることによる障害はコミュニケーションに影響を与えることで、人にとって、コミュニケーションが難しいことの不便さはこの上ないです。
だから、世界の人々は英語を学び、英語が共通言語に一番近しい地位にあります。
過去には共通言語を作ろうという試みもありました。エスペラント語です。
しかし、これは頓挫しました。なぜなら、英語をはじめとした欧米語圏の言語のハイブリットであるだけで、新しく作る意味が見出せなかったためです。
では、私たちは言語を学ばない限り、言語の壁に悩まされるのか。そんなことはないと思います。既存の社会でもgoogle翻訳等アプリは存在し、精度もそこそこだと個人的には感じます。
これから先の未来技術の発展に応じて自動翻訳は当たり前のものになるでしょう。
自動翻訳が当たり前になる世界。明らかに便利です。しかし個人的懸念もあります。
母国の言語への愛の変遷です。
日本語のよさ、美しさは、日本語を使い、他言語と比較することでより感じるものだと思います。
当たり前だと思っていたことが実は当たり前ではない。これはつまり、そのコンテンツの持つ魅力につながります。
比較の機会は自らの文化を知るために、また、他文化の理解のためにも、今後もぜひ設けてほしいものです。
----------キリトリ---------
長々とことばについて書かせていただきましたが、これは私が最近日本語の深み、美しさを体感しているためです。
自分が抱えている感情を相手に伝えるためには、ことばを使わなければなりません。しかし、自分の伝えたいことにマッチするワードを見つけなければ、ニュアンスの違いを含み、相手に伝えることになります。
この感覚の差って恐ろしいな、と痛感するとともに、このある種深みのようなものが、ことばの面白さで、魅力である気がしました。
ブログ書いてる時なんかよく思います。
もっと語彙力、ひいては表現力がほしいものです。
日々精進ですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。