ことばのちから
ことば、コミュニケーションをとるにあたってなくてはならないものです。
自分の思い、考えを相手に伝える時、人はことばを使います。
このことば、国や地域によって使う言語が異なります。
同じ言語であっても、方言のように、アレンジが加えられているものもあります。
自分の思いや考えを相手に伝える時、言語の異なる相手であると、急激に伝えることのハードルが上がります。
自分の知らない言語だった場合、最悪なにも伝えることができない、なんてことも多々あります。
このように、使用する言語が異なることによる障害はコミュニケーションに影響を与えることで、人にとって、コミュニケーションが難しいことの不便さはこの上ないです。
だから、世界の人々は英語を学び、英語が共通言語に一番近しい地位にあります。
過去には共通言語を作ろうという試みもありました。エスペラント語です。
しかし、これは頓挫しました。なぜなら、英語をはじめとした欧米語圏の言語のハイブリットであるだけで、新しく作る意味が見出せなかったためです。
では、私たちは言語を学ばない限り、言語の壁に悩まされるのか。そんなことはないと思います。既存の社会でもgoogle翻訳等アプリは存在し、精度もそこそこだと個人的には感じます。
これから先の未来技術の発展に応じて自動翻訳は当たり前のものになるでしょう。
自動翻訳が当たり前になる世界。明らかに便利です。しかし個人的懸念もあります。
母国の言語への愛の変遷です。
日本語のよさ、美しさは、日本語を使い、他言語と比較することでより感じるものだと思います。
当たり前だと思っていたことが実は当たり前ではない。これはつまり、そのコンテンツの持つ魅力につながります。
比較の機会は自らの文化を知るために、また、他文化の理解のためにも、今後もぜひ設けてほしいものです。
----------キリトリ---------
長々とことばについて書かせていただきましたが、これは私が最近日本語の深み、美しさを体感しているためです。
自分が抱えている感情を相手に伝えるためには、ことばを使わなければなりません。しかし、自分の伝えたいことにマッチするワードを見つけなければ、ニュアンスの違いを含み、相手に伝えることになります。
この感覚の差って恐ろしいな、と痛感するとともに、このある種深みのようなものが、ことばの面白さで、魅力である気がしました。
ブログ書いてる時なんかよく思います。
もっと語彙力、ひいては表現力がほしいものです。
日々精進ですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。